Q1.日本滞在を楽しんでいますか?
P) はい、とても。


Q2.いきなりの質問でなんなんですが、Dance CreoptaraやDon't Throw Stone等で聞く事の出来るチュクッチュクッとスカに登場するあのヒューマンパーカッションのアイディアをあなたはどのような事から思い付いたのでしょうか?
P)子どものときに歌い始めて、そのときは楽器を買うお金が無かったので、即興で空き缶のドラムとスティックで音を出して、みんなで口で楽器のように音を出して、曲を作ったりしていた。小学校のときそのアイディアを学校で披露したりしたよ。ベースやドラムを買えなかったから空き缶や空き瓶や自分の口を楽器にして音楽を作っていたのさ。夕方になるとドラモンドストリート(Drummond Street)の信号の下でみんなでそれぞれのパートを受け持って演ったもんだ。その後成長して音楽のことをもっと理解するようになった。だから、ヒューマンパーカッションのアイディアは子供の時からあったんだ。


Q3.Voice Of People Sound Systemをやっているときは、どんなチューンをよくプレイしたのですか?
P) “Two Barrel a Second”“Toothache”“Jumping With The Duke”“Humpty Dumpty”“Shake a Leg”“They Got To Come My Way”“Time Longer Than My Rope”“Black Head Chineyman”等をよくプレイした。それらがお気に入りだった。“Carolina”はまだその時は作っていなかった。


Q4.あなたはなぜサウンドシステムでプレイすることを辞めたのですか?
P) 当時私はサウンドシステムをやっていて、他のサウンドシステムを次々に倒していた。そしてチャンピオンのときにサウンドシステムでのプレイを辞めたのさ。それはエミール・シャレット氏が決めた事だったんだ。シャレット氏はロンドンのブルービートレコードのオーナーだった。彼は私に会いにジャマイカに来たのだ、私のアーティスト、ソングライターとしての資質に興味があったようだ。彼は私と一緒にダンスに来て、サウンドクラッシュの現場を見た。そして“Empty Glory(虚しい栄光)”だと語り、私にサウンドシステムを辞めるように、もっと歌を書くこととスタジオワークに集中するようにと言ったんだ。そして彼は、ロンドンで私のレコードの販売と宣伝をやってくれた。私は彼にサウンドシステムを辞めるようにと言われて、ものすごく考えた。なぜならその時私はサウンドシステムでチャンピオンだったし、それを捨てたくなかったからだ。私は自分より経験豊富な先輩のいう事はよく聞くほうだったが、その時ばかりは彼の話に気が進まなかった、シャレット氏は私にサウンドシステムを辞めることを強要してきたのだ。だが今となっては、私はサウンドシステムを辞めて良かったと思っている。なぜなら多分そのままサウンドシステムを続けていても、誰かを倒したりいつかは誰かに倒されたり、きっと同じ事の繰り返しだったはずだ。シンガーを本格的に始めていなかったら、私の名曲の数々を人々に届けることができなかっただろう、だからシャレット氏はプリンスバスターの音楽が成長していく過程でとても重要な人物だったんだ。今も私にとって彼は一番信頼できる師であると思っている、なぜなら私の考え方を狭い視野からインターナショナルなものに変えてくれたのだか轣B私はいつも彼への感謝の気持ちを持っている。

Q5.“Seven Wonders Of The World”と“Prince Of Piece”には東洋からの影響が見受けられますが、このチューンを書くときに何から影響を受けたのですか?
P) それはそういう状態だったんだよ。そのとき私はジャマイカにいたが、心は東のどこかの場所にいた。そして私の頭の中でその曲が浮かんだ。その旅のことを私はメンタルジャーニー(精神の旅)と呼んでいる。それはOne Step Beyond(時空を越える一歩)なんだ。なぜなら人は感覚の中で何かをつかみ、そのあとは全てがクリアになり、そしてそれらひとつひとつをつなぎあわせて完成させていくものだからだ。私は本当に東のことを考えていた。もしかしたら、それは“聖地”のことなのかもしれない。なぜなら私はモスリムになる以前はクリスチャンだったからだ。それらの曲を作った時は聖書から影響を受けていると思う。

Q6.レコーディングは通常は1発録音だったんですか?それとももっと早かった?
P) 両方やっていた。私は一発録音もよくやった。なぜならジャンバイゴとバンドはクロスロードのベイビーグランドで演奏してたからだ。彼らが演奏を終えたあと、朝の3時に私たちはみんなが帰った後のクラブでリハーサルをした。スタジオに到着するころにはみんなすっかり用意が出来ていた。時々1曲の録音を何度も繰り返した、なぜなら正確さが必要だった。時々ミュージシャンたちはフラストレーションを持ったようだが、私は正確さを求めた。だから彼らは私の頭の中にあったものと一致するまで何度もやらなければならなかった。

Q7.あなたはよくジャンバイゴ(Drumbaigo)、アークランド・パーカー(Arkland Parker)の話をしますが、日本人のほとんどか彼のことをよく知らないので、もっと彼について話してもらえますか?
P) ジャンバイゴ(Drumbaigo)はビッグマンで、私の父と同じくらいの歳だった。ジャマイカ人が皆、先輩を尊敬するように、私も彼をリスペクトしていた。彼は私といつも一緒に行動した、彼は船の中のディナーショーで演奏するミュージシャンとして働いて、とてもいい人だった。私は彼なしではスカミュージックで成功することは出来なかっただろう。私は彼の名前(本名)“アークランド・パーカー”をいつも称賛した。彼は本当にいい人だったよ。穏やかなフルート奏者で、フルートをいつも腰にさしていた。本当にジャンバイゴ(Drumbaigo)はいい人だった。

Q8. 最近のジャマイカのアーティストはいわゆるインストルメンタルといった楽曲を作る事を忘れている様ですが、そのことについてあなたはどう思われますか?
P) 最近のアーティストはほとんど歌(歌詞とメロディー)を作るだけだ。彼らはホーン(トランペットやサックス)を使うべきだと思う。なぜならホーンのブレンドなしでは音楽は不完全な物だからだ。だが最近のミュージシャンたちは昔の音楽の作り方を知らない。今のミュージシャンたちもホーンを使うべきだ。ミュージシャンはホーンなしでもダブを作ることはできるが、私はホーンなしで完璧なレコーディングは出来ないと思う。


Q9.ダンス(サウンドシステム)でインストチューンをかけることについて。サウンドマンたちは、“Seven Wonders Of The World”のような曲をどのように思い又当時はPlayされる事は有ったのか?
P) そう、その時はダンスホールの人々はシャウトしてもっとプレイしろと言った。私がレコードを作り始めたとき、それはビジネスが目的ではなかった。それは、サウンドシステムでの競争に自分を駆り立てるものだったんだ。私はたくさんのアイディアを作り、友人たちはそれらをコピーした。だが私は人と違った魅力を信じていて、反抗的なのが好きだった。だから私はいつもカロライナ(Carolina)を作ったように違うサウンドと違ったスタイルを探し続けていた。私は音楽に太鼓を取り入れて、そして世の中はそれらを拒絶した。私はそれらをスタジオで使い、そして私はスカを支配した、常にクリエイティブな思考を実践し表現していた。


Q10.一番影響を受けたシンガーは?
P) ビリー・エクスタイン(Billy Ekstine)だ。彼は完璧だった。私は彼の曲“Be Wildered“という曲がとても好きだった。「lost in a dream of you,where is that loveI knew,why did we part……」(とビリーの歌を歌いだすプリンスバスター)。それから、彼が歌うキャラバンミュージックが好きだった。でも……全部の曲が好きだ。いつもビリー・クスタインの曲を聴いてるよ。彼の曲は全部持ってる。影響を受けたほかのシンガーは、ジェシー・ベルヴィン(Jessy Belvin) だ。他の人が彼の曲を聴いていたのを聴いて、私も好きになったんだ。


Q11.あなたの子どもと同じくらいのデターミネーションズについてはどう思われますか?
P) 彼らは愉快な驚きだったよ、私は彼らと楽しんだ。私の以前のバンドは年をとってしまったので、フィーリングを取り戻すのは難しい。私がここに来てディターミネーションズとプレイした時、まるでスタジオでレコーディングしているようなかにだった。私は彼らのプレイするいろいろなタイプのサウンドを聴いたが、もし彼らがこのまま続けていくなら、私は彼らが世界で一番のバンドになると思う!なぜならスカは世界で一番の音楽だから。最初の頃に、私が歌った歌の数々がスカが死なないことを自ら証明して見せた。日本人の人々はスカを受け入れて、それを評価し、再びスカのエネルギーが伝わっていくのを、私に見せてくれた。バンドメンバーがプレイしている時に、私は彼らを良く見るためにステージでメンバーの帽子を取ったことがある。私は彼らから何か特別なヴァイブスを感じたし、彼らのプレイはすばらしく本当に日本人かと信じられないほどだった。


Q12.あなたが50年前にスカを創った時、今現在のスカブーム、たとえばディターミネーションズやスカを愛する日本の若者の存在を予測していましたか?
P) 誰かがわたしのことを預言者だと言ったが、昔私が書いた曲の一節で、「舌がある人は語り続け、耳のある人は聞き続け、目のある人は見続ける。神の祝福を今我に」………私は今まさにこの詞を実感している。それはまるでずっと以前から潜在意識の中で、今現在の状況(スカブーム)を知っていたかのような感覚だ。私は彼ら(デターミネーションズ)が今ここでスカミュージックを表現しているということを知っていた。デターミネーションズは若くエネルギッシュでスカを愛しスカにこだわり、彼らこそが現代のスカバンドだと私は思う。


Q13.日本人と日本につてはどう思いますか?
P) 日本の街が好きだ。私は日本に対する感謝の気持ちを形にした。新しいレコードを作ったんだが、タイトルが“ジャパニーズウーマン(Japanese Woman)”と言うんだ。


Q14.あなたのプロデューサーとしての方法や訓練はどんなものだったのですか?
P) 私はリハーサルをして、その中からアイディアを得る。そしてミュージシャンに私のアイディアを正しく伝えて、その後スタジオでレコーディングするんだ。


Q15.シンガーとしてですか?
P) 普段私は作詞作曲家、プロデューサー、シンガーを兼任している。だから私は全部のことをこなす。

Q16.あなたはたくさんのレーベルを持っていますね。普通は2、3レーベルだと思うのですが。そのことについてお話し願えますか?
P) アーティストにとって、それぞれのレーベルがそれぞれの時代を表しているんだ。私は私のレーベルと歌でそれぞれの時代を表現している。レーベルのデザインやもろもろ全て自分でやったんだ。それは曲を作ったりするのと同じことだ。たくさんの人々にワイルドベルズ(Wild Bells)レーベルは愛されているが、このレーベルは私の最盛期の頃のレーベルだ。他のレーベルもある。“ソウルビルセンター(Soulfvile Center)”このレーベルはルークレーン(Luke Laneというジャマイカの場所)とチャールズストリート(Charles Streetという場所)での出来事を表現しているんだ。そのエリアではトム・ザ・グレート・セバスチャン(Tom the great Sebastian)がサウンドシステムをやっていた。彼は金物屋もやっていたんだが。このエリアにはたくさんのミュージシャンが住んでいて、例えばジョー・バンディ(Joe Bandy)、彼は優れたトランぺット奏者だった。それから私はこのレーべルにこの街のイメージを使い、レーベル名のところにルークレーンとソウルビルセンターの名前も表記した。もしあなたがスカの真実を知りたくて、それを調べるのであれば、ルークストリートとチャールズストリートとオレンジストリートがどんなところかを知る必要がある。ルークストリートとチャールズストリートはオレンジストリートのすぐ裏手にあって、オレンジストリートはルークストリートの横だ。簡単に道から道へと抜けることが出来る。


Q17.ファイティングスピリットについて、聞かせてください。(Meaning Of One Step Beyond)
P) 今私は年をとり、経験を得て言えることは、落胆せずにあきらめないということだ。そしてやり続けるべきだと思う。なぜなら、世界中の男の人生の目標とは困難に立ち向かい闘うことだからだ。だから私たちはそのことを受け入れて、その目的を理解しなければならない。何もしないことは目標ではない。本当の目標とは一生懸命がんばることなのだから。その時が来たらがんばる。男は闘い続けるために生まれてきたのだから、戦い続けなければ。だから私は(戦い続ける人生のようなスポーツ)ボクシングが好きなんだ。


Q18.どうして50年間もがんばり続けることができたのですか?
P) 悪いことをしなかったからだろう。悪いことはするな!ギブアップするな!あなたは男だ、エネルギーにあふれ根性がある。最後までベストを尽くすんだ!


Q19.このイヴェントをはじめる前に僕の相談にのってくれた、忘れてはいけない偉大なセレクタDuke Vinについてすこし話して下さい。
P) デュークは私より年上で、友人だ。私たちはチャールズストリートで一緒に育った。Tom The Great Sebastianはジャマイカで最初のサウンドシステムだった。ビニーはディスクジョッキーだった。。だか彼はモデルのようだった。彼は背が高くスーツを着ていた。彼の靴は鏡のようにいつもピカピカだった。だから彼のニックネームはVinny Shiney Shoesというのさ。ダンスで彼はこんな風に立っていた。みんながダンスに来て彼の靴を見てヴィニーに挨拶をした。彼は性格のいい人だった。彼の息子は死んでしまって、その後彼はイギリスに移てサウンドビジネスを始めたんだ。私たちは今でも友達だ。私はいつも彼を探してるんだ。私たちはいまもつるんでるんだ。彼は私の妻の友人でもある。

Q20.最後に世界中のスカファンとスカを演奏している人々に、是非これだけは忘れないでというようなメッセージをもらえますか。
P) 全てのスカを愛するミュージシャンに贈ります。あなたたちの選択は正しい。がんばってくれ!あなたたちはきっとスカミュージックからすばらしい何かを得るだろう。だからスカを愛し続けて欲しい、なぜならスカは世界で一番の音楽だからだ。

NUFF RESPECT TO KING OF SKA PRINCE BUSTER
インタヴュー:林 正也/DRUWEED (ROCK-A-SHACKA/DRUM AND BASS)
対訳ROBERT DAWKINS 15/MAR/03 WEST INN HOTELにて